首級の取り方



 いざ、首を取る方法であるが、これは一概に言う事は出来ない。何故なら、首を胴体と泣き別れにする状況は様々なものが在るだろう。
 例えば相手が観念した場合、例えば相手が抵抗している場合、例えば相手を打ち倒し終えた場合。
 相手が観念し首を差し出した状況で在れば、それは介錯に近い状況になるであろうし、相手が抵抗しているならば、とりあえず無力化させるか、組み伏せて首を刈るかするであろう。また相手が事切れているので在れば、より事は簡単である。
 介錯で在れば刀で行うのが自然であるし、ただ首を死体から切り取るので在れば戦闘用の刀から、山刀・鉈・包丁・鎌・鉞(まさかり)といった作業用の刃物まで、手近の切れる物で切断するのが自然であろう。
 それらに付いては有り触れた光景なのであろうか、特筆される事は無い様である。



首を取る作法

 首取り中でも抵抗する相手を組み伏せるなりして首を取るという光景に関しては、幾つかの記述が在る様であるし(注1)、絵巻物にも良く描かれる。勇ましく、派手な光景で在るから、わざわざ特筆したとも、演出として描かれたとも考えられる。
 基本的には馬乗りになって、腰刀などの短い刀で首をかき切る様である。『雑兵物語』の中では「大脇差は首を取るにはえらく切りにくいもんだ」とあるが、自然な事であろう。
 『武者物語』(注2)に、「取り押さえた敵の首をとる法」という項目がある。
一、昔の侍の物語にいう。向井能登守という侍が言われたことには、「敵を押さえて首をとるには、敵を乗り伏せて、右足で敵の利腕を踏みつけて、錣(しころ)をたたみ上げて、まず喉笛を刺し斬ってから、脇差しを逆手に持ち、見上げの板(兜内側の額にあたる部分)をはずして、首をかき切るのである」と。

『賤ヶ岳合戦図屏風(大阪城天守閣蔵)』
 また『雑兵物語』「持ち槍担ぎ吉内左衛門」の項にも、敵の首を取るシーンがある。(注3)
(前略)馬がひっくり返り、乗り手もまっさかさまに落っこって、ふんぞり返った。そこを寝首をかくようにして首を取ったが、大脇差は、首を取るにはえらく斬りにくいもんだ。(中略)
 この首を取るときは、寝首をかくようにはしたけれど、もしも起き直られてはなんねえと、馬乗りになって、左の手で首を押さえ、右の片手で大脇差を抜くべえ(後略)
 『武門要秘禄』にも記述があり、ここでは敵を仰向けにして首を取る術が記載されている様である。(注4)
首を取るには冑の眉庇をつかんであおむけにし、足で肩をふまえ、起きあがろうとする相手を足でも尻でも刀でたたき、前から首を掻けば大抵は跳ね返らないという。
・髷を掴む
 同様の姿は図画でも散見するが、多くは兜を着用していない相手の髷(もとどり)を掴んで顎を上げさせて、首をかき切っている図が多い。
 


『平治物語』

 また例外的に、立った状態で敵の首を取りに行く例も見受けられる。これはいささか例外的な状況ではあろうと思う。

『芦引絵』より
・集団で首を取る
 今までは一対一での格闘の末の首取りについて触れたが、こういった首取りでは一人を多数で取り押さえた首を取る事例が一般的の様に思う。
 通常の白兵戦においても横槍を入れる等、同輩や臣下の者と協力して闘うのが普通であるのだから、一連の戦闘の流れの中にある首取りが、集団で協力して行われても不思議ではなかろう。
 また、死にものぐるいで抵抗する相手を組み伏せるのも大変な事である上に、白兵戦の状況下では、これほど自分が無防備になってしまう状況も無い。例えば下の図画の様に、己が逆に首をかかれるとも限らない。

『小牧長久手合戦図屏風(犬山・成瀬家蔵)』
 よって多数で一人を圧する事は合理的であり、多い事例の様に考える。幾つか図画も散見するので、例を挙げてみたい。


伊井家本『関ヶ原合戦屏風絵』(左)。『石山寺縁起』(右)。
 『武者物語』は1654年編纂、1656年刊行された江戸初期の物語で、全体として懐旧の色が強い。絵巻物自体も演出が何処まで施されているか分からない所がある。とはいえ全体として共通する姿があるし、現在の軍隊格闘術と照らしても、さほどは差異が無い所から、素直に受け取っても問題は無い様に思う。
 逆説的に言えば、古今東西を通して似た様な姿があり、特に珍しく特筆すべき仕草では無いとも言える。

 ただ組み伏せて首を取るという仕草は、実際には希有な事だった様に思う。
 常識的に考えて危険な戦場で、死にものぐるいで抵抗する相手を組み伏せ首を取るという行為は危険きわまりない。逆に返されて返り討ちに合いかねないし、下手な怪我をするかも知れない。また隙が出来るので、例を挙げた様に別の敵に助太刀されて殺される危険もある。確実に相手を無力化してから首を取るのが自然である。
 実際に、前述した『武門要秘禄』では、こういった事をふまえて、確実に相手を打ってから首を取る様にと指導している。
 割合と首取りの様子が文章で残っていないというのは、そういう事も在るのかも知れない。

 一方で、これまた前述した様に、甲冑を着込んだ武者が落馬や転倒をしてしまうと、なかなか体勢を整えるのは難しい。特に古風な鎧や高級な鎧ほど重量が在る。大鎧などを着た武者が落馬などをしたら、自重で大怪我をしかねないし、ひっくり返された亀の様になかなか起きあがれ無いだろう。時代をさかのぼる程、また相手が高貴な身分ほど、首取りの作法が行われやすい環境にはあるのかも知れない。



首以外を切り取る作法

 敵を討ち取った証として首級を持ち帰る訳だが、いつでも悠長に首を切り取り、そいつをぶら下げてウロウロ出来るものでも無かろう。戦闘が激しかったり、移動を強いられる様な状況下では、それはなかなか難しい。切り取る作業とて楽では無かろう。分厚い皮と肉を切り、骨を外して、脊髄を切り取らねばならない。ましてや人間の頭部は体積的にも、重量的にも、かなりかさばる。
 また、これ見よがしに首を見せびらかしていては、味方に奪首をされないとも限らない。そうなれば手柄の横取りどころか、命も危ない。
 とはいえ捨てた首を拾首され、手柄を横取りされる可能性も高い。何か証拠を押さえておきたい。そういった時に、首級の一部を切り取って持ち帰り、後から残りを探し、それと照らし合わせる事で証拠とする事が行われる。
 首と照らし合わせなくとも、敵を討ち取った、奮戦したという証拠としても持ち帰る事もある(首級が無くとも証人が居ればそれで済む事も在る様だが。/注5)。数首の場合、誰を倒したか分からなくとも良いからであろう。特に数首の数を競い合っている様な場合、わざわざ頭部を切断して運ぶのも大仕事なので、一部を切り取って持ち帰る事も多い。秀吉の朝鮮出兵の折りには、大量の耳(あるいは鼻とも)を塩漬けにして、日本の太閤へ検分の為、送っている。

・鼻をそぐ

 最も一般的なのが、この鼻をそぐ作法であろう。
 鼻をそぐ際には髭を付けてそぐ様にする。具体的には唇を付けてそぐ(注6)。こうしないと、その鼻が男の物で在るか分からないからである。女の鼻では手柄に出来まい。
 この鼻をそがれた首を女首と呼ぶ。
 注意すべき事として、首を切り取った後に鼻をそぐのは、「味方討ちと間違うので御法度」(注7)という事である。残った女首を捨ててしまえば、その鼻の身元を分からなく出来るからであろうか?理由は不明である。


鼻をそがれた死骸(女首)
『小牧長久手合戦図屏風(犬山・成瀬家蔵)』

・耳をそぐ

 これも鼻をそぐ作法と同様である。男の耳であるという証拠の為に、髭の部分を付けてそぎ取る様にする(注8)。髭の薄い相手では難儀な事であろう。

・葉を詰める

 『武門要秘禄』の中には首を打ち捨てて行く場合(あるいは小者に持たせるにしても)、必ず後の証拠として討ち取った首の口、耳の穴等に、笹の葉もしくは木の葉を入れておけと書いている。(注9)
 その程度で証拠になるのかは怪しいが、可児才蔵の例もある。むしろ「笹の才蔵」の英雄談から来ている話を書いているのかも知れない。




注1:首取りの実例に関しては『刀と首取り』(p.154〜)で鈴木眞哉氏が事例を挙げている。
注2:『雑兵物語』収録。p.238〜239。
注3:『雑兵物語』p.43〜44。
注4:『考証戦国武家事典』p314。
注5:『雑兵物語』p.69。
注6:同書p.81。
注7:同書p.80。
注8:『武教全書』から。笹間氏の『武家戦陣資料事典』p.557からの孫引き。
注9:『考証戦国武家事典』p.315


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