近代戦以前の事
〜雑多な寄せ集め〜
近代以前の軍制
武具について、近代以前の事と考えた時に、留意しなければ行かない事が幾つかある。まず、近代以前と言う事は、そこは封建制社会という事である。
近代の軍隊において動員した兵士への武具は、組織が責任を持ち、極力統一した武具を支給・貸与する(国家が徴兵し、国家が統一した制服・武器・その他装具の面倒を一括して見るという事)。
一方、前近代の封建的軍隊の装備は自弁、すなわち持参である。
動員は軍役に従い個々の武家が行う。兵士は直属の主人に従い参陣する。兵士の武具・装具の責任を持つのは、直接動員した主人である。軍役に従って参陣する兵士であれば、武具・装具は個人で責任を持って持参する。
例えば、ある武将と有事の際には5人の兵隊を連れて参陣するという軍役を結んでいる侍がいるとする。この侍は軍役をこなす為、兵士五人を動員する。この際に、兵士五人の武具・装具・食事と給料の面倒を見るのは、侍の責任である。武将は関係ない。
こういった侍の率いる兵士達のグループがいくつも集まり、さらに武将の一族郎党を加えたのが、武将の軍勢である。こういった武将の軍勢が集まって、更に大きな武将や大名、将軍の軍勢が出来上がる。つまり寄せ集めである。
しかし時代が下り中世も後期になると、武将・大名が軍団の装具や資材を一括して集めたり、動員された兵士全員の装備の内容に注文が入ったりする様になる。
組織としても動員した兵士を中央に一度集めてから再編成したり、武将・侍を指揮官として各部隊に配属するという、中央集権的組織に変わっていく。(これは各武将の独立・在地性が、著しく低下して行く社会的・政治的傾向と連動していると思われる。例えば寄子寄親制。)また武将・大名直属の兵士の数も増える。
つまり寄せ集めの度合いが減っていくという事である。
最後に例をあげて違いを説明すると、朝鮮出兵の際に、加藤清正は自分の軍団向けの兵衣を送るように国元(肥後)に司令を出している。これが本来の封建的軍制であれば、国元に送らせる兵衣は自分と一族郎党の分だけで良いのであり、その他の兵隊の物は、監督している武将・侍が各自で集めるべき物とも言える。
一方、近代的中央集権の軍隊であれば、加藤清正は国元に司令を出すのではなく、最高司令官たる豊臣秀吉に、兵衣を送ってくれるように要請をするはずである。
これが近代と近代以前の事なのである。
注意:中世初期の源平合戦においても、統一的に徴兵・徴用活動が行われたという説もあるが、ここでは強調の為に触れなかった。
近代以前の製品
第二に、近代以前の製造活動は、工芸と言うべき物である。作れる物は自弁したとしても、それ以外は職人による手作りに他ならない。規格品を大量に作れる工業化は夢の又夢である。即ち、地域や作り手によって製品にばらつきがあるという事である。
近代工業化されていないという事は、大量生産が効かない。流通が無いわけではないが、武具・装具の入手が非常に困難だと言う事である。数が少ないのだから仕方がない。当然中古市場もあり、武具に到っては単なる中古から、部品を寄せ集めた物まで扱われた様であるが、これも決して安価な物であった訳では無い様だ。
足軽ら武家奉公人達が用意出来なければ、武具から服まで主人が貸し与えて間に合わせた。借りられる身分の者は、まだ幸せだったのかもしれない。借りる様な低い身分ではないが、金は無いという侍に取っては辛かろう。
買う事も、借りる事も満足に出来なければ、奪うしかない。しかも高価で中古市場が在るのだから、良い稼ぎにもなろう。腕と運が良ければ、良い武具をタダで手に入れる事は可能なのだ。当然、それが目的の兵隊達が多かった様である。
(江戸時代になってもなお、捕り物や上意討ちなどで討ち取った相手の衣服や武具を、手間賃と称して持ち去っる風習があった。また火葬場では荼毘にふす前に、遺体が身につけている服を剥ぎ取って古着市場に流すのが常だった。それだけ物は貴重だったと言う事だろう。)
この様に兵士の持っている武具・装備は、新品から中古、代々の家宝から略奪品、上から下まで完品の装備から欠損品や中古部品の寄せ集めまで、非常に多岐に渡ったであろう。
主人から装備を借りるとしても、主人としても貸武具や装備を新調もするであろうが、使える武具はとんでもなく古風であっても大切に管理し、中古やボロ、さらには戦利品も使用したに違いない。綺麗に姿を統一した兵士など、なかなか難しい。
こういった事情の中で武具を身につけて兵士達が参陣するのである。参陣する兵士の軍装に対する注文も、旗指物や合印程度の単純な物が多い所を見ると、無頓着だったのではなく、それ以上は困難であったのではないかと推測する。
逆に言えば装備が整った姿をした軍団と対峙するというのは、それだけで驚異的であったのであろうし、可能ならばそういったメリットを最大限に発揮するのも兵法であったろう。
まとめ
昨今、映画やゲーム、漫画などで綺麗に統一された中世の軍団や兵士のイメージが流布されている様に感じる。「赤と黒のエクスタシー」を売り文句にした作品も、過去には存在した。しかしながら観てきた様に、軍組織も、装具も、全てが寄せ集めといえるのが、中世の封建的軍隊である。確かに赤備え等と呼ばれる色を統一した軍団はあったが、極めて例外的であるからこそ名を馳せたのである。逆に色が赤というだけで後はバラバラである。
その時代や身分によって、流行りの武具や典型的な姿というのは在ると思う。とはいえ地域や集団、個人によって大きく異なるであろう。最新鋭の武器や流行りの格好をしている者と、恐ろしく古い武器やボロを身にまとった者とが肩を並べていないとも限らないし、遠く離れた地域の兵士同士が顔を突き合わせた時に、話している言葉や顔だけではなく、格好や武器まで違っているかもしれない。
第一、工業規格品でない物は、程度の差はあれ、どれとして同じ物はない。
非常に雑多である。これはとても調べる上では難しい事であるが、楽しみでもある。そして印象的なイメージに引きずられてはいけないという事を教えてくれる。この「雑多」という部分を大切にして観ていきたい。
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