典型的姿の難しさ



 古今東西関わらず服装・軍装には、ある程度の規定が存在する。服装規定とか、故実と呼ばれる作法、服務規程である。
 特に公式な式典では、この規定が厳守される傾向にある。例えば現代の軍隊で言えばパレード等がそうであるし、中世・近世においては宮廷や幕府に出仕する際の作法がそれであろう。こういった際の服装・軍装に付いては比較的調べやすいし、研究が進んでいる。
 所が、普段の姿であったり、実際の戦場での姿となると、途端に分からなくなる。

 例えば現代の軍隊において、軍人に支給・貸与される服装・軍装の備品は、パレード服・普段着・野外服問わず、ちゃんと規格で決まっているし、その着用方法も厳格に定まっている。よって兵士達の姿・格好というのは明確である・・・はずだが、現実はそうではない。
 戦場写真や当事者の証言を照らし合わせると、服装規定が何処吹く風である。支給・貸与された備品を規定された方法とは全く違うやり方で着用したり、備品を改造したり、私物を混ぜたりして着用する事が多い。戦場においては、敵から捕獲・鹵獲した物まで使用する。場合によっては書類上では服装規定や、備品の規格が決まっていても、指定された備品が兵隊に届いていなかったり、届いても規格とは違う物が来たりする事も、ままある様である。
 勿論、服装規定をキチンと守っている兵隊と、そうではない兵隊の違いもある。規律の厳しい部隊か、そうでない部隊かにも拠るし、優先的に備品を回して貰える部隊か、そうでない部隊かにもよるだろう。

 この様に近代化された軍隊ですら、現実の兵隊の姿というのは分かりにくい。
 では中世の兵士達の姿はどうであろうか?
 ますます持ってバラバラである様だ・・・。

 まず共通規格が無い。
 近代の軍隊で在れば共通規格の服装・武器が存在し、それ故に服装規定等が設置される訳だが、中世の軍隊においてそれはない。
 近代軍隊とは違い、寄せ集めなのが封建制の軍隊である。同じ軍団に所属していても、その軍団が徴兵したわけではなく、その軍団に参加した共同体(家や村落といった生活共同体など)が兵士を集めるのであるから、統一装備など在るわけがない。その共同体の中ですら統一された装備であるか怪しい。第一、統一する必要も無い。

 それに基本的に服装にしろ、武具にしろ、工業製品ではない。基本的には民芸品である。全国統一の共通規格なぞ無いし、一品一品手作り故の差異が生じる。例えば布の幅一つとっても、大体の規格という物はあるが、未だに(!?)統一規格は存在しない。

 例え統一規格が無いからと言って、時代風というのはある。だからその時代に典型的な姿は在る・・・と思うと、落とし穴である。確かに多い姿は在るだろうが、例外が余りにも多すぎる気がする。
 例えば武具であっても、織豊時代には当世具足の桶川胴や仏胴が多くなるとされるが、桶川胴や仏胴一つとっても色形様々なヴァリエーションが存在する。当世具足に至っては更に多い。しかも全ての兵隊が当世具足を身につけているかというと怪しい。自分の武家としてのアイデンティティを示す為に、先祖伝来の鎧を身につける人間もいるだろう。また逆に貧しくて新しく武具を新調出来ない、あるいは中古の具足で間に合わせる人間もいる。あるいは戦利品というのも多いだろう。そうなると時代錯誤かと思う様な古風が現れる事も有り得る。さらにやっかいなのは痛んだ武具を修理したり、バラバラの部品にして組み立て治したりする事が頻繁に行われている。こうなると一つの具足の中に、時代博覧会的な現象が起きないとも言えまい。
 これは刀剣においても顕著で、時代ごとに刀身の特色は存在するが、その時代に作られた刀剣を、その時代だけ使っているという事は無いし、特色は在っても絶対的な物ではない。
 足軽用のお貸し具足などは、大量に揃えて保存しておく関係で、在る程度揃っているのでは無いかと思うが、その形も家々によって全く規格が違うであろう。同じ家の物であっても、購入や修理の時に、規格はどの程度揃えられているかも良く分からない
 特に足軽の軍装に関しては『足軽物語』の挿絵を参考にする例が多く、典型的な姿として良く引き合いに出されるが、あれは江戸時代の一家中に過ぎないし、イラストでしかない。

 もし共通の規格があるとすれば、それは「印」であろう。所属を表す「印」だけは共通規格であろう。その印を記す物や形式はバラバラだとしても。
 『足軽物語』の中で、「印」と「合言葉」を失った武者が味方に討たれる話を挙げて、くれぐれも亡くすな忘れるな・・・と諭している。
 つまりは「印」が無ければ、見た目には違いが良く分からないからであり、それは在る程度の軍服の様な共通規格が無く、バラバラの格好をしていたからであろう。
 しかし逆説的に言えば、どいつもこいつも似た様な格好をしていたとも言える。

 その時代、その地域の典型的な姿というのは確かに在るのだと思う。皆、似たり寄ったりな姿をしているのかも知れない。
 だが、「似たり寄ったり」と「同じ」は違う。

 また文章や絵で記録され残されている姿や、保存された遺物は、同時代人が興味深いと思う物である。それは即ち、珍しい姿・物である。多くの記録が残っているから、多くの遺物が残っているから、イコール有り触れた姿・物と判断できない。日本の有り触れた事象を調べる時に、外国人の記した日本の記録が最も参考にされているというのが、良い例だと思う。


 中世の兵隊の姿など、良く分からないという世界である。
 にもかかわらず、世の中には典型的な姿とされる例が一人歩きし、増殖している様に思われる。有名な物=典型的な物とされてしまっている例が多すぎる気がする。
 衣装や小道具に予算が限られている映画やお祭りでは仕方が無いと思う。しかし調べる・再現するという目的があるのならば、それではマズイと思う。
  軍装を着用した再現写真などで例を挙げる様な記事をアップしないのは、同様の理由がある。在る一例に過ぎない物が、一人歩きをする恐れが在るからである。視覚的効果とは、強力なものは無いからである。
 ・・・再現写真を撮る程、資材が無いというのも理由ではあるが・・・。



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