投稿日
: 2002/02/06(Wed) 21:58
投稿者
: 道庁の赤い星
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タイトル
: 未だに引っかかる柿渋色
どうもやはり,柿渋色=被賎視色というのは短絡のような気がしてならない。
藤木久志『飢餓と戦争の戦国をゆく』では,
中世社会に武装集団としてのエタ,被差別民を想定し,
その一環として例の『峯相記』に出てくる悪党を非人と判断してるが,
果たしてそう考える必要があるのか?
武装集団としての被差別民という主題そのものは,言われてみればその通りだと思うが。
『雑兵物語』に普通に出てくる柿帷子,
『源平盛衰記』に登場する狩人,鷲尾三郎義久。
近江の馬借一揆と「柿帷衆」
どれをとっても,TPOの問題と考えたほうが自然ではないのか?
要するに,殺生というか荒事と柿帷子に最初の連関があって,
非人は殺生や荒事を日常とする身分だから,
結果的に柿帷子になじみが深い,
そのうちに柿渋色といえば非人という記号が生まれていく,という。
今のところ,こんな方向で柿渋色を考えている。
柿渋色に関する史料があったら,ぜひご教示を。
イメージリーディングがかなり危うい知的作業であることは,
ある程度実感してるもので。
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投稿日
: 2002/02/20(Wed) 18:26
投稿者
: 木蘭
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タイトル
: 忍者の服
稲垣史生『考証・戦国武家事典』の中の忍術の項目として、
三田村鳶魚『江戸の白浪』から以下の様な引用がありました(孫引き御免)
いろいろな流儀があり、いろいろな本もあるけれど、スッパやラッパの心がけが一番よく見える話は、
桑名の藩主松平越中守定綱、すなわち山鹿素行が「武教全書」を書いてあげた人だが、
この人の話に、盗賊の張本である大嶋八左衛門が柿渋の着衣のことを話したことがある。
どうして柿渋がいいかというと、黒い色は夜分でも見えるが、柿色はかえって見えない。
それに血がついても目立たぬものだから、柿色がいいということを言った。
今日に柿色は色が濃いから、少し具合が違うけれども、大嶋八左衛門の時代のものは、
柿の渋で染めたもので、もっと色が薄い。今日でいうとカーキ色と同じようなものである。
そのカーキ色を明治の末に軍隊で採用したのを見ると、三四百年も前に大嶋八左衛門は
同じことを考えていたということがわかる。
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投稿日
: 2002/02/20(Wed) 20:43
投稿者
: 道庁の赤い星
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タイトル
: 結構でかいヒントかも
「血のシミが目立たない色」か。
面白いじゃないですか。
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投稿日
: 2002/02/21(Thu) 06:40
投稿者
: 道庁の赤い星
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:
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:
タイトル
: 「血のシミ」というキーワードが
柿渋色にまつわる,
狩人・屠殺人・皮革加工・処刑・戦争・武芸を
うまくまとめてくれる気がしない?
いままでの議論と史料をもう少し史料で補強して,
章立てを考えさえすれば,
あっという間に卒論クラスの小品ができそう。
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投稿日
: 2002/02/21(Thu) 13:16
投稿者
: 木蘭
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タイトル
: Re: 「血のシミ」というキーワードが
> 柿渋色にまつわる,
> 狩人・屠殺人・皮革加工・処刑・戦争・武芸を
> うまくまとめてくれる気がしない?
見た目が血染めっぽいという事ですか?
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投稿日
: 2002/02/21(Thu) 18:13
投稿者
: 道庁の赤い星
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:
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:
タイトル
: いやそうではなく
どうしても血のシミが着いちゃう稼業だということ。
で,なるべくそれが目立たない服を着たいよな普通,という意味。
ほこりっぽいところに白い服を着ていかないのと同じ。
何らかの神秘的な意味合い,なんてものじゃなくて,
極めて実用的な理由説明になる気がする。
その意味で『雑兵物語』が何て言ってたか,気になってきた。
手元にある?
いまちょっと動けないので,
該当部分をそのまま引用してくれると助かる。
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投稿日
: 2002/02/22(Fri) 00:59
投稿者
: 木蘭
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:
タイトル
: Re: いやそうではなく
> どうしても血のシミが着いちゃう稼業だということ。
> で,なるべくそれが目立たない服を着たいよな普通,という意味。
> ほこりっぽいところに白い服を着ていかないのと同じ。
>
> 何らかの神秘的な意味合い,なんてものじゃなくて,
> 極めて実用的な理由説明になる気がする。
実用例ではもう一つ、先の『考証・戦国武家事典』に『太閤記』からの引用が在りました。
清正やがて首かき落とし、腰につけたる渋布の首袋へ押し込んで、(後略)。
私は酒袋をイメージしていて、切った首から出る血が袋から滲み出ると不快なので、
渋染めでコーティングしたと思っていたのですが、
血のシミが目立たない様にするためかな・・・とも思い直しています。
またその袋は洗って使うでしょうしね。
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投稿日
: 2002/02/21(Thu) 21:01
投稿者
: 木蘭
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タイトル
: 『雑兵物語』からの引用
> その意味で『雑兵物語』が何て言ってたか,気になってきた。
> 手元にある?
> いまちょっと動けないので,
> 該当部分をそのまま引用してくれると助かる。
原本現代訳シリーズの『雑兵物語』から柿渋に関する部分を引用。
夫丸 弥助 の項
加助殿(草履取り)、加助殿。たいした手柄を立てられた。気を静めてあぐらをかいているもんだ。
その柿渋の上着を引っぱいで、おれの上っ張りを着せるべえ。おれは羽織を持たねえから、
布子の裾をひっくくって帯にはさみ、羽織のまねをしてきた。
中間の分際では陣中へ柿渋のものを着てはこねえということを知らねえのも、もっともだ。
旦那方はお歴々だによって、長手拭や手足の袋に柿渋をはめていらっしゃる。
ここにおられる左助殿(若党)も、手足にはめた袋は柿渋だが、その襷になさった白布は、なんのためでござるか。
(後略)
夫丸 茂助 の項
(前略)
なるほど、おまえ(加助)の傷から血が流れるのも道理だ。みれば下に柿渋の単物をひっかけている。
柿渋は出血をひどくするから刀傷には禁物だ。弥助の上っ張りととりかえろ。
(後略)
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投稿日
: 2002/02/26(Tue) 21:05
投稿者
: 道庁の赤い星
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:
タイトル
: これも興味深いですね
中間の分際 → 戦場に柿渋のものを着てこない
(お歴々)の旦那方 → 長手拭や手足の袋に柿渋
いっぱしの戦闘員,あるいは歴戦の人でないと着ちゃいけないらしい。
この場合気にしてるのは返り血なのか。
近江の馬借一揆の「柿帷衆」をどう見るか(どう見せようとしたか)を考えるにあたって,
非常に示唆的ではあるまいか。
出血がひどくなるのは,吸ってくれないからなのか。
確定的なことを言いにくいのがいかにも前近代史っぽいはがゆさではあるが,非人の扮装と考えるより説得力があるのではあるまいか。
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投稿日
: 2002/02/26(Tue) 21:08
投稿者
: 道庁の赤い星
Eメール
:
URL
:
タイトル
: 少なくとも
実用性とダイレクトに繋がってる気がする。
媒介概念として「非人」を担ぎ出す必要はない気がするが,いかに?
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投稿日
: 2002/02/27(Wed) 02:37
投稿者
: 木蘭
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:
タイトル
: Re: 少なくとも
> 実用性とダイレクトに繋がってる気がする。
> 媒介概念として「非人」を担ぎ出す必要はない気がするが,いかに?
柿渋色の服で描く事=非人、乞食などを表す表現方法。
等という記述を観ますが、あれは定説なんですか?
定説だと思っていましたが、貴殿の書き込みを読むと、違ったのかな?と。
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投稿日
: 2002/02/27(Wed) 17:35
投稿者
: 道庁の赤い星
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:
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:
タイトル
: 定説ではあると思う
定説=正しい,でないことは言うまでもないとして。
「柿渋色は乞食・非人を示す」の発見は,それはそれで一つの達成でしょう。
ですが,それは「なぜ柿渋色なのか」という説明を内に含んではいないし,
「柿渋色の装いでありさえすれば,乞食・非人と見てよい」わけでも,
ないと思うのですよ。
イメージリーディングは重要な手がかりを与えてくれる手法ではあるが,
それだけで何かを語るには穴がありすぎる。
他の史料を参照し二線・三線を重ねて,
その見方の妥当性そのものを検討したり,
内訳をより詳しく見ていったりしよう,ってわけですな。
で,柿渋だから非人と考えなくても,
「戦う人だから柿渋」で片付くんじゃないの,ってところ。
結局そのテーマに興味を持つ限り,
まず定説を押さえておく必要はあるが,
それで十分だということなどない。
そこが楽しいのだ,ということですな。
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投稿日
: 2002/02/28(Thu) 00:33
投稿者
: 木蘭
Eメール
:
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:
タイトル
: Re: 定説ではあると思う
てっきり、そういった画法が確立されていたという話かと思いました。
絵巻物の柿渋色に関する記述を立ち読みした限りでは。
あくまでもデーターの中からの仮説な訳ですね?
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投稿日
: 2002/03/01(Fri) 23:32
投稿者
: 道庁の赤い星
Eメール
:
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:
タイトル
: それならそうと
書くでありましょう,本格的な論文/書籍なら。
日本における絵巻物,西欧における暦や職人絵の研究は,
比較的新しく出てきたジャンルだし,
書き手に関する史料どころか,史料そのものの性格すら,
そうそう明らかになっていないのが現状でしょう。
仏像とかに使われる記号なら,
怪しげなものもふくめて豊富に記述が見出せるだろうけど。
例えば修験道関係の伝承なら,
その名も『鶉衣』(うずらごろも)などという史料もあって,
そういうからには茶色い服のことに違いないわけで。
いろいろ,こじつけくさい事物の由来が解説されてる。
東洋文庫で活字になってるけど,
さすがに絶版かなあ。
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投稿日
: 2002/03/03(Sun) 19:26
投稿者
: 木蘭
Eメール
:
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タイトル
: Re: それならそうと
> 書くでありましょう,本格的な論文/書籍なら。
なるほど。
>
> 日本における絵巻物,西欧における暦や職人絵の研究は,
> 比較的新しく出てきたジャンルだし,
> 書き手に関する史料どころか,史料そのものの性格すら,
> そうそう明らかになっていないのが現状でしょう。
その辺りを念頭に入れて、しこしこと本を読んでいく事にします。
>
> 仏像とかに使われる記号なら,
> 怪しげなものもふくめて豊富に記述が見出せるだろうけど。
仏像・仏画の表現方法は基本的に教典に基づいていますからね。
何らかの根拠がなければ、嘘・ねつ造として、何の権威も得られないですからね。
それでも差異が出てきてしまうんでしょうが。
それはそれだけど。
> 例えば修験道関係の伝承なら,
> その名も『鶉衣』(うずらごろも)などという史料もあって,
> そういうからには茶色い服のことに違いないわけで。
> いろいろ,こじつけくさい事物の由来が解説されてる。
>
> 東洋文庫で活字になってるけど,
> さすがに絶版かなあ。
何の本ですか?
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投稿日
: 2002/03/04(Mon) 00:30
投稿者
: 道庁の赤い星
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:
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:
タイトル
: 『鶉衣』は
近世くらいに成立した修験道の故実の本,というべきなんだけど,
非常にこじつけが多くて,なんだかなあ,という感じの史料。
かぶってる帽子が八角形なのは,こういう由来,
背負ってる「笈」(おい)には何が入ってるとか,詳しいのはいいんだけどねえ。
どうも,歌舞伎のイメージで,
修験者というと白と黒の印象あるけど,
茶色なんだよね,実際には。高尾山とか日光とかで見られるけど。
柿帷子着てるんだし。
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投稿日
: 2002/03/04(Mon) 20:40
投稿者
: 木蘭
Eメール
:
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:
タイトル
: 『法衣史』
> 近世くらいに成立した修験道の故実の本,というべきなんだけど,
> 非常にこじつけが多くて,なんだかなあ,という感じの史料。
> かぶってる帽子が八角形なのは,こういう由来,
> 背負ってる「笈」(おい)には何が入ってるとか,詳しいのはいいんだけどねえ。
>
宗教関係の(故実ってのはそうかもしれないが)服装に関しては理由がありますからね。
風俗史とは、ちと違うし。
でも何故その理由が生まれたのか?
という問いに対しては結構分からなかったり、こじつけだったりするのは宗教関係でも同じかもしれませんね。
数千年前の中央アジアや印度亜大陸の風俗たっだり、
口伝で忘れられていたり、教典が紛失していたりして。
純粋にこじつけ・・・ってのも在るようです・・・。
井筒雅風氏の『袈裟史』の中に修験者の衣に付いての記述がありました。
(まだ読んでないので抜き書き状態)
154頁に
「修験の法衣(ここでは一応このようにしょうしておく)は、在俗の本来の姿をつくろうためか、
後世その一つ一つに仏教的解釈を無理に押しつけている。
こういうことは、一般の「ころも」には見られないことである。」
とあります。
さらに156頁にも。
「法衣というものは、とにかく仏説による因縁がなければならないという観点から発したものであろうが、
在俗の人たちに法衣を着ける喜びと満足を与えるために、考案されたものであろう。」
「袈裟や編杉には、印度から中国へもたらされたとき、これと同じような傾向の解説が加えられたが、日本で成立した僧侶の法衣に、このような解説はない。
修験の法衣に対する特異な解釈は、またこの宗団の特異さを示しているのである。」
まぁ、推測に関しては考察の余地がありますが。
こじつけという点に関しては、服飾研究者からも感じられる様ですね。
> どうも,歌舞伎のイメージで,
> 修験者というと白と黒の印象あるけど,
> 茶色なんだよね,実際には。高尾山とか日光とかで見られるけど。
> 柿帷子着てるんだし。
色についても記述があり、余り詳しく歴史的変遷などには触れていないのですが、
直垂の様な衣(元々はそこから派生したんじゃないだろうか)は「篠懸(すずかけ)」と呼ぶそうです。
「鈴懸」「鈴掛」「鈴繁」とも書くとか。
「衣紋に青と黒で石畳の文様を摺ったものを特に摺衣といい、また麻の篠懸を柿渋で赤く摺ったものを柿衣という。
また白色・無紋の篠懸を浄衣というのは浄衣の篠懸の意で、大峰山に入峰しない修行者用のものとされている。」
「この篠懸の形は、直垂の形と似て、それと異なる所は脇に別裂を入れて、ヒダ(原文では衣偏に耳を三つ書く字)を作ることと、当帯があることである。
直垂と同じく、上・下の二部にわかれ、下は括り袴である。
普通は上下同色であるが、摺衣の時は袴を白色とする。」
柿渋色に関しても
「柿衣は赤色であるのは、母胎の中に住む姿であるという。」
とあります。
それと画像として天台宗の篠懸として、表が黄麻、裏が白麻の無紋の物が掲載されています・・・モノクロだけど。
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投稿日
: 2002/03/05(Tue) 22:43
投稿者
: 道庁の赤い星
Eメール
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:
タイトル
: 『勧進帳』のうたいのなかにも
「旅の衣は鈴懸の」というフレーズは出てくるね。
まあ,
「こうである」理由と,
「こうであるということにしたい」理由は,
往々にして別だからねえ。
後者も,思想史的には興味深いんだけど,
今回の考察にはより広い実用例のほうが参考になりそうやね。
やっぱり,柿衣が母親の胎内をイメージした「デザイン」とは思えない。
(もっと鮮やかな赤だっていくらでも使えると思うし)
先に慣習として柿衣が定着していて,
それにもっともらしい教義上の説明を付けたように思える。
これは,あくまでカンなのだけど。
投稿日
: 2002/02/19(Tue) 19:33
投稿者
: 木蘭
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タイトル
: 読みました
> どうもやはり,柿渋色=被賎視色というのは短絡のような気がしてならない。
>
> 藤木久志『飢餓と戦争の戦国をゆく』では,
> 中世社会に武装集団としてのエタ,被差別民を想定し,
> その一環として例の『峯相記』に出てくる悪党を非人と判断してるが,
> 果たしてそう考える必要があるのか?
> 武装集団としての被差別民という主題そのものは,言われてみればその通りだと思うが。
その辺りの記述読みました。
私もおかしいと思いました。
『峯相記』の悪党の記述ですが、異様な姿だから記述したわけでしょ?
烏帽子や袴をつけない、女物の菅笠を被る、はげた鞘の太刀をはく・・・
これはTPOにそぐわないと。
女人が菅笠を被っていても記述する必要は無いし、
百姓が烏帽子や袴をつけていなくても、酷いなりの太刀を持っていても、
別に特筆はしないという様に。
普段は渋染を着ない様な人や場所で、それが観られたから特筆したわけでしょうから、
渋染が非人の被賎視色の服装だったならば、わざわざ書くでしょうか?
もし非人ならば、元々の公の武装集団としての時には、
そういった物は身につけていなかったと考えるのが自然な気がします。
だとすると集団として団結するために、わざわざシンボルカラーを身につけていたとか・・・
それならば、もう少し別の描かれ方をしそうですしね。
どちらにしても、いささか短絡的なもって行き方のような気がします。
投稿日
: 2002/02/07(Thu) 17:06
投稿者
: 木蘭
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タイトル
: Re: 未だに引っかかる柿渋色
共産主義なら赤、ファシズムなら茶色、無政府主義なら黒
・・・くらいの余り根拠のない(あるのかな?)、
あるいは周りの人間からそれほどは具体的に認識されていない理由から生じているのかもしれませんね。
なんとなく・・・くらいの。
例の渋染一揆でも触れましたが、
皮多の人々が無紋の藍染めか、渋染めの着物以外の着用を認めないという決定に対し、
無紋である所にかみついたわけで、渋染めの着物自体にかみついた訳ではない。
そういった事を考えた時に、柿色の帷子そのものに余り意味は無い気がします。
繊維を強靱にするための染料としては、藍と柿渋が主に使われていたんだろうし、
逆に特定の層を認識させる様な、身近では無い物だとは思えないし。
それに柿渋に一番触れていたとすれば漁師ですよね。
漁に使う網を柿渋でコーティングする事に、一番柿渋を消費したらしいですから。
それに船の防水コーティングにも大量に消費したというし。
実は私も柿渋は気になっていまして(素材として)、
チェックするようにはしているのですが、根拠となるような記述は見あたりませんね・・・。
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投稿日
: 2002/02/19(Tue) 19:16
投稿者
: 木蘭
Eメール
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URL
:
タイトル
: 一寸訂正
> 例の渋染一揆でも触れましたが、
> 皮多の人々が無紋の藍染めか、渋染めの着物以外の着用を認めないという決定に対し、
> 無紋である所にかみついたわけで、渋染めの着物自体にかみついた訳ではない。
> そういった事を考えた時に、柿色の帷子そのものに余り意味は無い気がします。
『概説・渋染一揆』を読み返していましたら、
非人の職業で治安を預かる目明らが、渋染の帷子などを着ていたら、
遠くからでも正体がばれて、相手に逃げられてしまう・・・
という様な言い回しで、制作に抗議したという記述があります。
渋染と限定はしていないのですが、「無紋の帷子などを・・・」でも「藍や・・・」でも無い辺りに、
渋染の特異性が現れているのかもしれません。